線虫(C. elegans)のスゴい「フェロモン」とは
フェロモンは情報伝達物質
フェロモンってのは何なんだということなんですが、別に性的でセクシーなものに限らない。いろんな情報を、オスメス男性女性に限らず、同じ種類の仲間に伝え、それを受け取ることで行動に何らかの作用、影響をおよぼす物質がフェロモンということになってます。
生物が恋をし、セックスをし、子孫をたくさん残そうとするため、あるいは生きていくために必要な特定の情報物質の総称がフェロモンというわけ。
じゃ、このフェロモン、いったいどんな作用や影響を及ぼすんでしょうか。
たとえば、両生類のイモリのある種のオスは、メスに対して「ソデフリン(sodefrin)」というフェロモン物質を出す(※1)。このイモリ、日本にいるアカハライモリです。恋の季節になると、オスがメスを引き付けるために、フェロモンを出して性的なアピールをするんですね。
ちなみに、ソデフリンは両生類で初めてフェロモンの性質が特定された物質(ペプチド)で、この変な名前の由来は、額田王が万葉集で詠った「あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる」という一首から、ソデフリンを発見した日本人研究者がつけたそうです。
ただ、アカハライモリのオスは、いくらソデフリンを出してメスに求愛しても、わりとよく振られちゃう。この振られちゃう、「袖にされる」を、この一首とかけてるんですな。粋な命名をするもんです。
で、ソデフリンはオスがメスに出します。メスには作用するけど、オスには効かない。あと、近縁種のイモリのメスにも働きかけません。つまり、同じ種類の生物だけに、何らかの作用を及ぼすということで性的なフェロモン(不揮発性)というわけです。
線虫は人口密度の制御にフェロモンを使う
イモリなんかの脊椎動物だけじゃなく、いろんな生物がフェロモンを出したり受け取ったりしてます。
たとえば、線虫(C. elegans)。線虫ってのは、多細胞生物の原始的なモデル生物として遺伝子研究なんかでよく使われてる、ニョロニョロした細長くて小さな生物で土の中にいます。ちなみに、ギョウチュウとかカイチュウとかいった人間の寄生虫も線虫の一種。
で、この線虫もフェロモンを出します。たとえば、周囲の仲間の数が増えると、同時にある種類のフェロモンの量も増えます。すると、そのフェロモンの影響で、普段なら好きなはずの栄養分のにおいを嫌いになってしまう。好きな食べ物を嫌った線虫は、その場所から離れていきます。
人口密度というか線虫密度が上がると食べ物が減ることが予想されるので、フェロモンを信号にして別の場所へ探しに行くきっかけにしたり、集団が分散するようになってるというわけ(※2)。
ですから、このフェロモンは、性的なフェロモンじゃない。生きていくために必要な物質です。人間でもラッシュの満員電車ではストレスがたまりますが、もしかすると線虫と同じようなフェロモンが出ているのかもしれません。
そのフェロモンの信号に従わず、通勤通学のために仕方なく満員電車に乗っていることがストレスになるのかもしれない。人口密度が上がれば、生物はなんらかの信号を出していると考えても不思議ではありません。
さらに、この小さなニョロニョロ線虫のスゴいのは、人口問題は食糧問題ということを知ってるところです。単に、過密状態を嫌うようにせず、なぜ過密になったのか、その原因をフェロモンで解決している。みんなが特定の食物に集中するから人口が過密になるわけで、その食物が嫌いになれば別の食べ物を探しに出掛けるというわけです。
そして、ここに線虫の「食育」がある。偏食せず、まんべんなく多様な食べ物を少しずつ食べることが大切で、効率的に供給できる特定の食べ物ばかり食べるように育てば、世界中が飢餓になるということなんですね。
カイコガのフェロモンは何キロも離れて作用する
また、複雑な巣と社会を作るアリが、フェロモンでコミュニケーションをしてるのは有名です。たとえば、働きアリは食べ物を発見すると、フェロモンを出しながら巣へ戻ります。そのフェロモンの残り香により、エサの場所まで仲間を導いている。アリの脳には警報フェロモンを受信する部分があります(※3)。外敵が巣に進入してきたとき、フェロモンで仲間に知らせてるんですね。
こうしたフェロモンの存在自体、ファーブルが昆虫記(1878年に第一巻発行)を書いたころから知られてましたが、フェロモン物質と受容体、そして遺伝子の関係がわかってきたのは最近のことです。
たとえば、生糸を作るカイコの成虫、カイコガのフェロモンは、ボンビコールっていう人工的に合成もできるアルコールの一種(揮発性)の化学物質です(※4)。カイコガのオスを呼び寄せるためにメスがボンビコールを出しているとわかったのが1959年。このボンビコールの受容体遺伝子(BmOR1)が発見されたのは2004年だったんですね(※5)。つまり、約半世紀の間、そのメカニズムがわからなかった。ちなみに、これら引用論文でわかるとおり、日本のフェロモン研究は世界でもトップクラスです。
さて、性的なフェロモンと受容体は、同じ種類同士が広い世界でめぐりあい、セックスするためにできてます。ボンビコールは、カイコガのオスしかフェロモンとして受信できません。ほかの種類のガのオスには意味のない物質だ。
また、何キロも離れたオスとメスがお互いを確認するためには、揮発性の化学物質の先端部分がピッタリと合う必要がある。ボンビコールの化学式は「C16*H30*O」です。その立体構造は、カイコガのオスの触覚の先端についている受容体とカギとカギ穴みたいにカッチリ合うというわけ。
ちなみに、こうした仕組みを他分野の技術、たとえば工学の世界で応用することもあります。それが、カイコガのフェロモンを使った臭い判別ロボット(※6)。カイコガの受容体遺伝子をカエルの卵に埋め込んで小型のにおいセンサーにし、ボンビコールだけに反応する超高感度の嗅覚センサーを作った。こうして生物の優れた機能を他分野で応用する考えを「バイオミメティック(biomimetic)」といいます。
どうでしょう。フェロモンのスゴい働き、少しわかってきたんじゃないでしょうか。
※1:S Kikuyama, F Toyoda, Y Ohmiya, K Matsuda, S Tanaka and H Hayashi, "Sodefrin: a female-attracting peptide pheromone in newt cloacal glands", Science 17 March 1995: Vol. 267 no. 5204 pp. 1643-1645
※2:Koji Yamada, Takaaki Hirotsu, Masahiro Matsuki, Rebecca A. Butcher, Masahiro Tomioka, Takeshi Ishihara, Jon Clardy, Hirofumi Kunitomo and Yuichi Iino, "Olfactory Plasticity Is Regulated by Pheromonal Signaling in Caenorhabditis elegans", Science 24 September 2010: Vol. 329 no. 5999 pp. 1647-1650
※3:Nobuhiro Yamagata and Makoto Mizunami, "Spatial representation of alarm pheromone information in a secondary olfactory centre in the ant brain", Proceedings of the Royal Society B, 22 August 2010 vol.277 no.1693 2465-2474
※4:Butenandt, von A., R. Beckmann, D. Stamm and E. Hecker. "U*ber den Sexual-Lockstoff des Seidenspinners Bombyx mori." Reindarstellung und Konstitution. Z.Naturforsch.,14b:283-284. 1959
※5:Takeshi Sakurai, Takao Nakagawa, Hidefumi Mitsuno, Hajime Mori, Yasuhisa Endo, Shintarou Tanoue, Yuji Yasukochi, Kazushige Touhara and Takaaki Nishioka, "Identification and functional characterization of a sex pheromone receptor in the silkmoth Bombyx mori", PNAS "Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America" November 23, 2004 vol. 101 no. 47 16653-16658
※6:Nobuo Misawaa, Hidefumi Mitsunob, Ryohei Kanzakic, and Shoji Takeuchi, "Highly sensitive and selective odorant sensor using living cells expressing insect olfactory receptors", Proceedings of the National Academy of Sciences of the United of America, Published online before print August 23, 2010, doi: 10.1073/pnas.1004334107
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