「航空機事故」って連鎖するの?
馬に蹴られて亡くなる確率、というような現象を考える際、統計ではよくポアソン分布という理論を使います。滅多に起きないが一度起きると連鎖的に二度、三度と続けざまに起きる、ということを調べるわけですが、過去の航空機事故をポアソン分布に当てはめた場合、世界的な数値で調べてみると起きる事象に「連鎖性」はなく、それぞれは独立したものということがわかっています。
ただし日本国内に限ると、サンプル数が少ないために「連鎖性」が認められる、という結果になることもあるようです。では、火山灰などの物理的な影響以外で、それぞれの航空機事故には、何らかの「連鎖」的作用や関係があるのでしょうか。
1953(昭和28)年から1977(昭和52)年までに起きた145件の航空機事故の件数と発生間隔を調べたところ、事故同士の発生間隔が10日以内のものが33件、20日以内が63件となったというデータがあります。
この数値からは、事故同士の間隔が短いようにも感じますが、80日以上の間隔も多く、全体を見ると事故の間隔はバラバラに発生しているものの、短い間隔と長い間隔の間、ちょうど70日から80日の間に「谷」があることがわかります。もしかすると、20日以内の多さと「谷」の存在が「連鎖性」を感じさせているのかもしれません。
我々は、大きな事件や事故が起きると、その理由や背景や動機などを知りたがります。なぜなら、ある現象には納得できる原因や理由がある、と思っていて、それが理解できず、わからないと不安になるからです。ところが、多くの人は面倒くさがりで合理的な思考の回りくどさを嫌うので、まず現象について自分が見知っている知識や理解の範囲で簡単に判断しがちです。自分なりのパターン認識に当てはめ、簡単に素早く理解し、納得して安心したがる、というわけです。
このパターン認識は「経験則」と言い換えることもでき、我々の記憶は、すぐに忘れる短期記憶と、繰り返されることで固定化される長期記憶に大きく分けられます。同じようなパターン化された風景などを何度も見ると、それが自分の中で「普遍化」し、再度、違う場所で同じような光景や場面に接すると「デジャビュ」を感じる、という心理状態になる。どうやら我々は、現象や問題に対し、その理解や解決に対してせっかちであり、判断にはむしろ自分なりの経験則による認知的な「バイアス」を強くかけたがるようです。
さて、こうした現象や問題が、我々の生活に対する様々な「リスク」となってやってくることがあります。リスクは我々に不安や恐怖を引き起こします。
前述したように、こうしたリスクに対しても我々は、わかりやすく簡単な問題解決や回避、理解を拙速に求めるようになりがちです。可能性として、マスメディアによる報道などにより、我々の記憶や心理に刻み込まれる課程で認知バイアスがかかり、ある特定のパターン化された判断や理解、問題解決に陥ってしまうようなことがあるかもしれません。
例えば、日本航空123便の事故は、事故が起きたお盆の時期になると毎年毎年、マスメディアで報じられます。悲惨な航空機事故の記憶を「風化させるな」という視点からの報道は「誰にも反対できない聖域」。
もちろん、犠牲者の無念を思えば、遺族にとってその思いは強いでしょう。すでに日本航空をはじめ、国内航空各社は事故を起こしたボーイング747を全て退役させています。お盆という季節的な面もあり、史上2番目の死者を出した事故の規模もあり、何年経っても8月12日のマスメディアの報道は減っていかないでしょう。
マスメディアの動機は単純ですが、あの航空機事故は「象徴的な事例」となり、我々の記憶に強く深く刻み込まれています。航空機事故、と聴いただけで、御巣鷹山で救助される少女の映像を想起する人もいるはず。航空機事故が「連鎖的」に起きる、という我々の感覚に、繰り返されるマスメディアの報道により、過去の航空機事故の記憶が過大に評価されていることが大きく影響しているのかもしれません。
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