「恋する」脳内物質
恋をすると出てくる脳内物質
恋をしたとき、私たちの脳内にはPEA(フェネチルアミン、phenethylamine)と総称される神経伝達物質が出ます。チョコレートにも含まれている物質なので、バレンタインデーにこじつけて「愛の脳内物質」とか呼ばれてます。
PEA(フェネチルアミン)はごく微量の使用に限って安全性が確認され、許可された食品添加物として、チーズやワイン、菓子類などに香りや風味付けするために使われています。ちなみに、口から食べた物質は消化器官で分解されてしまうので、そのまま脳や体内で期待するような機能が働くことはほとんどありません。
PEA(フェネチルアミン)は、アルカロイドの一種です。その仲間は、ドーパミンやノルアドレナリンなど多種多様。ほ乳類の頭の中では、こうしたナチュラル・アンフェタミンとも呼ぶべき「脳内麻薬物質」がさまざまな役割をしています。
脳の働きは、一種の化学反応です。ある神経伝達物質が作用して神経細胞を「発火」させると、それが伝達されたり広がったり、変化したりして何らかの行動として表現されます。
PEA(フェネチルアミン)は、日常生活でも盛んに出ています。たとえば、勉強したりスポーツしたりすると、恋をしたときと共通の物質も出るし、また違う物質も出ている。PEAは、酒やタバコの中毒、つまりアルコールやニコチンの依存症に関係したり、これが働かなくなるとストレスを感じたりするようです(※1)。
一方、報酬の予測と学習に関係しているのがドーパミンで、これも恋愛に関する脳内物質です。ギャンブルにはまっている人の脳では、ドーパミンが活発に働いています(※2)。ドーパミンは、集中力やモチベーションを高めたりするので、恋愛の時の私たちの脳内に放出されています。
PEA(フェネチルアミン)はドーパミンの放出を即すと考えられています。以前からPEA(フェネチルアミン)は抗うつ剤などに使われ、精神性疾患の治療薬にもなっています(※3)。覚醒剤のような危険な物質であると同時に、精神の病を治す薬にもなるというわけです。
愛情の脳内物質オキシトシン
恋愛研究の大家、米国ラトガース大学のヘレン・フィッシャー(Helen E. Fisher)教授は「人間の脳では恋愛に関して三つの遺伝子が働いている」と言ってます(※4)。その三つとは、セックスしたいという衝動、甘く切ないラブラブのロマンス、そして長く続く愛のカタチ。これらはぶっちゃけ、性欲、恋、愛です。
セックスしたいという欲望には、テストステロンが関係しています。相手を探してあちこち徘徊し、積極的で攻撃的、ときに極端な行動をする。覚えがあるでしょう、特に男性は。セックスしたいという行動には、こうしたむき出しでナマな衝動、原始的な遺伝子が働いています。相手を見つけたら恋をします。恋に落ちる、フォーリンラブ。
どうも、複雑な行動をする生物ほど、ナマな性欲から次の段階、恋をする段階へ進むようで、その最たる存在がヒトです。いったん恋に落ちると、PEA(フェネチルアミン)が脳内にドバッと放出される。
こうなると、もうめくるめく大嵐が頭の中を駆け巡り、疾風怒濤のような混乱に陥り、もういてもたってもいられなくなります。多くの経験者は、こうした状態がどんなものかよくわかるはず。心臓はドキドキバクバクするわ、目がらんらんと輝いちゃって、はぁはぁと息をしたり、なんか落ち着きがなくなってそわそわする。心ここにあらずという感じ。
客観的にみてこういう人がいたら怖い。こうしたときに放出されるPEA(フェネチルアミン)は、まさに脳内麻薬物質というわけ。実際、恋に落ちたときの「症状」は、神経伝達物質の異常によって引き起こされる潔癖症や先端恐怖症などの強迫性障害によく似ています。
また、恋をすると熱の刺激や痛みの敏感さに関係した物質NGF(Nerve Growth Factor)の血液中量が増えます(※5)。これが増えるから恋に落ちるのか、恋に落ちたから増えるのか。その因果関係はまだ不明ながら、いろんな意味で恋は神経の敏感さに強く関係しているということでしょう。相手を思う気持ちに胸を痛めたり、好きな人に会うと頬が自然に赤らんだりする理由もわかります。
めでたく恋が成就し、実際にセックスすることになりました。良かったですね。すると、さらに脳内はパニック状態になる。男性ではテストステロンが放出され、神経伝達の麻薬物質エンドルフィンが駆け巡る。愛情の脳内物質といわれるオキシトシンにいたっては、セックスでイクときに通常の5倍も出る、と言われています。
恋愛の脳内物質の賞味期限
このように、我々が性欲を感じてから実際にセックスするまでの過程は、とにかくまどろっこしくて面倒くさい。いったいどうして、こんな仕組みになっているんでしょう。
我々ヒトの場合、恋をしたときの脳内の活動については、子育てに関係しているのではないかと考えられています。つまり、中長期的な子育ての協力者を選ぶための手段として、PEA(フェネチルアミン)を利用しているというわけです。
実際、セックスをして男女が愛を育むようになると、恋をするときに出ていたPEA(フェネチルアミン)は次第に後退し、代わりにオキシトシンとバソプレシンが出るようになります。いわばPEA(フェネチルアミン)は、その後の神経伝達物質の「呼び水」的な役割をしてる。
オキシトシンは暖かい愛情の神経伝達物質、ボソプレシンは保水や利尿作用に関係した物質ですが、パートナー同士を仲むつまじくさせる神経伝達物質とも言われています(※6)。また、人間とイヌとの間の関係でもオキシトシンが作用しているようですが、人間とオオカミの間ではオキシトシンは出ません(※7)。
オキシトシンは、主に女性の愛情深さに関わり、ボソプレシンはどうも男性が浮気しないように作用しているらしい。ヒトの場合、こうして男女が協力して子育てをしていくように働く脳内麻薬物質を出し続けるというわけですが、しょせんは化学物質の化学的な作用です。ずっと永遠に利き目が続くわけじゃない。
前出のヘレン・フィッシャー教授によると、子どもに手が掛からなくなる3年から4年くらい利き目が続けば御の字のようです。子育てがすめば、お役御免、というのは、女性にとっては脳内物質も男性も同じなのかもしれません。
ところで、恋愛中毒とか恋愛依存の人っています。誰でもいいから、とにかく恋愛していたいタイプの人。こうした中毒のメカニズムですが、タバコをやめられない人、つまりニコチン中毒の場合、ニコチンが脳内で働いている本来の物質(この場合はアセチルコリンという神経伝達物質)と同じ細胞(受容体)と結合します。
そのとき同時に脳内麻薬物質のドーパミンが放出され、これがクセになって常習化し、タバコがやめられなくなってしまう(※8)。アセチルコリンは、心臓などの筋肉を収縮させたり、脈拍を遅くさせたりする物質です。また、学習のときに分泌量が増え、記憶に関係する脳の海馬を活性化させると考えられています。
ただ、ドーパミンは、年齢を重ねるごとに脳内で出る量が減っていきます。10年で約8%から10%も減るんだそうです(※9)。特に男性の場合、テストステロンは年間約2%から3%の割合で加齢につれて減少していくようです(※10)。
やはり、年齢とともにハラハラドキドキ感はなくなっていくんですね。年を取ったら、もう寂しい極み。恋を患うことができるうちが華ですよ。
※1-1:Joseph Grimsby, Miklos Toth, Kevin Chen, Takeshi Kumazawa, Lori Klaidman, James D. Adams, Farouk Karoum, Judit Gal & Jean C. Shi,''Increased stress response and β-phenylethylamine in MAOB-deficient mice" Nature Genetics, Vol.17, 206-210、1997
※1-2:Marco Bortolato, Sean C Godar, Shieva Davarian, Kevin Chen and Jean C Shih, "Behavioral Disinhibition and Reduced Anxiety-like Behaviors in Monoamine Oxidase B-Deficient Mice" Neuropsychopharmacology, Vol.34, 2746-2757, 2009
※2:Mathias Pessiglione, Ben Seymour, Guillaume Flandin, Raymond J. Dolan & Chris D. Frith, "Dopamine-dependent prediction errors underpin reward-seeking behaviour in humans" Nature, Vol.442, 1042-1045, 31, August, 2006
※3:Sabelli H, Fink P; Fawcett J, Tom C. J., "Sustained antidepressant effect of PEA replacement" Neuropsychiatry Clin Neurosci, Spr, 8:2, 168-71, 1996
※4:Helen E. Fisher, Arthur Aron and Lucy L. Brown, "Romantic love: a mammalian brain system for mate choice" Philosophical Transactions of The Royal Society B, Vol.361, 2173-2186, 2006
※5:Emanuele E, Politi P, Bianchi M, Minoretti P, Bertona M, Geroldi D., "Raised plasma nerve growth factor levels associated with early-stage romantic love" Psychoneuroendocrinology. 9, November, 2005
※6:Hasse Walum, Lars Westberg, Susanne Henningsson, Jenae M. Neiderhiser, David Reiss, Wilmar Igl, Jody M. Ganiban, Erica L. Spotts, Nancy L. Pedersen, Elias Eriksson, and Paul Lichtenstein, "Genetic variation in the vasopressin receptor 1a gene (AVPR1A) associates with pair-bonding behavior in humans" the National Academy of Sciences, 14, July, 2008,
※7:Miho Nagasawa, Shouhei Mitsui, Shiori En, Nobuyo Ohtani, Mitsuaki Ohta, Yasuo Sakuma, Tatsushi Onaka, Kazutaka Mogi, Takefumi Kikusui, "Oxytocin-gaze positive loop and the coevolution of human-dog bonds" Science Vol. 348 no. 6232 pp. 333-336, 17, April, 2015
※8:Jerome Sallette, Sebastien Bohler, Pierre Benoit, Martine Soudant, Stephanie Pons, Nicolas Le Novere, Jean-Pierre Changeux and Pierre Jean Corringer,''An Extracellular Protein Microdomain Controls Up-regulation of Neuronal Nicotinic Acetylcholine Receptors by Nicotine" The Journal of Biological Chemistry, Vol.279, 5, February, 2004
※9:Juha O. Rinne, Pirkko Lonnberg and Paivi Marjamaiki, "Age-dependent decline in human brain dopamine D1 and D2 receptors" Brain Research. 508; 349-352, 1989
※10:Yeap BB, "Testosterone and ill-health in aging men" Nature Clinical Practice Endocrinology & Metabolism, 113-121, doi:10.1038/ncpendmet1050, 2008
すでに登録済みの方は こちら